2011.03.11 の記録
今さらですが、わが家は全員無事です。
東日本大震災の発生から、もう 4 週間が経ちました。東京では体感するほどの余震も減ってきて、心の落ち着きは取り戻しつつあるかなと思います。それでもやはりあの地震は、自分を含めて多くの人たちに確実に心の変化をもたらしたんだろうなと漠然と感じながらすごしています。
自分のために、あの日起きたことを記録しておこうと思います。随時追記していく予定。
【地震発生】
職場は千代田区麹町。それほど新しくないビルの 4F にあります。揺れたのはランチが終わって午後の作業にとりかかりつつ、とある方と Twitter の DM やらメールやらで連絡を取り合っていた時のこと。その方から届いたメールのタイムスタンプを後日見てみたら 14:47 でした。
揺れ始めた時はわりと冷静でした。いつもの地震だろうと。その揺れがだんだん大きくなり地震大きい
とツイートしたのが 14:47。そして揺れが止まらない。止まらないどころかさらに揺れが大きくなる。慌てて椅子から立ち上がり、デスク上の液晶ディスプレイ 2 つを支えながら周りを見てみるとビルごと大きく揺れているのがハッキリわかりました。鉄筋が軋むような不吉な音が鳴りつづけ、窓にかかったブラインドは激しく窓にぶつかる。だんだん不安が大きくなってきたところでオフィスのエントランスの照明が割れた音。この時点でもうただ事じゃないなと。結局揺れが治まるまでデスク前から動けず。
揺れている間にも Twitter のタイムラインは更新され続け、震源が関東ではなく東北地方沿岸だということを知った時、東京でこの揺れだったら震源近くではどうなってるんだと想像して正直恐ろしさを憶えました。
ビルの内外の状況を確認し、スタッフも全員ケガもないことが確認できると、後は自分の心を落ち着けることが大事だと思い努力するも無理。ネットで被害の状況がわずかに伝わってくるのを眺めているのが精一杯でした。仕事はまったく手に付かず。二度目の大きな揺れでさらに不安は増します。
オフィスの被害はエントランスの照明カバーが落下して割れたのと、本棚の本が少し落下した程度。高い本棚がないのは幸いでした。ただビルの壁にはそれまでなかった亀裂ができていました。
【家族との連絡】
最初の揺れが止まった時点で妻に連絡を取ろうとケータイから電話してみるもケータイ・家電話双方繋がらず。SMS もダメ。自宅は築 10 年以上のマンションの 5F。妻と 1 歳 8 ヶ月の娘の 2 人であの揺れを体感したとなると、オフィスで多くのスタッフと一緒にいる私が感じた恐怖以上のものを感じただろうなと思い、早く声を聞きたいという思いが強くなりました。大きな食器棚もあり倒れてケガをしていないだろうかと心配は募ります。しかし何度ケータイで電話してみても回線に接続さえしてくれない様子。上司に確認の上、オフィスの固定電話でかけてみても「混みあっています」のアナウンス。1時間後ぐらいに家電話に繋がったと思ったらなんと留守番電話。マンションの外に避難してるんだろうかとメッセージを残しました。結局状況がわからないため、その後何度も電話。
ようやく連絡がついたのは 16:10 ごろ。2 人とも無事でした。テレビや食器棚が倒れると怖いのといざという時にすぐ避難できるように玄関前の廊下でじっとしてたとのこと。冷静に判断した妻を頼もしく思ったのでした。妻の声が聞けた瞬間はオフィスで思わず涙が出そうになりましたが、家族の無事がわかったことで、かなり心の平静を取り戻すことができました。
実家の両親や妹弟には PC からケータイにメールで家族全員の無事を連絡。
ケータイだけならまだしも、固定電話の回線も使えないとなると、今後はそれら以外の家族との連絡手段を確保しておく必要性を感じました。後日、妻には Twitter アカウントを作成してもらいました。
【帰路】
家族に連絡がついてからも仕事が手に付くこともなく、まだわずかしかない情報を求めてネットを眺めていました。そうこうしているうちに東京都近辺の鉄道がすべてストップしたという情報が入り、この時点で徒歩帰宅を決断していました。職場の上司から早退の指示が出るものと思ったら、皆様普通にお仕事などなさっているようで、私からそれとなく提案。こういう時はスタッフの不安要因をいち早く解消できるようケアすることが経営者の判断として必要なんじゃないかと 思いました。17:00 前にようやく早退指示。徒歩で帰宅できるようや距離じゃないスタッフは職場泊となったようです。
17:08 に これから歩いて自宅まで帰る。
とツイートして帰宅開始。コースはおおざっぱに書くと、麹町、皇居外苑、大手町、日本橋、浅草橋、錦糸町、新小岩というもの。13km 弱です。普段皇居外苑を週に 2 回、10km ずつ走ってるので距離に不安はありません。自宅に到着!
したのは 20:57。所要時間は 3 時間 49 分。Google Maps によると徒歩で 3 時間 30 分ぐらいの行程なのですが、やはり都心部は人が溢れていたり、割れたガラスが散乱して迂回せざるを得ないようなトコロもあり、余計に時間がかかりました。
幸運だったのは途中まで職場の同僚と一緒に歩けたこと。話をしながら歩けたので孤独感もないし、不必要な不安に襲われることもありません。混雑でイライラすることもないし、とても落ちついた精神状態がキープできました。周りを見ていると早く家にたどり着きたいという焦りからか、他人を押し分けて歩くような人もいました。それでも多くの人はただ黙々と歩き続けていました。同僚とわかれてからは Twitter をながめつつ励ましあい。助けられました。
2/28 には東京マラソンで 42.195km を 5 時間半かけて完走してたんですが(これもエントリ書かないと)、その時とはまったく違った心境での約 4 時間、どちらもゴール地点には家族が待っていました。帰宅して家族の顔を見た瞬間、ほっとして涙が溢れました。
【最後に】
今回の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。また、復興に向けて活動されている皆様を日々応援しております。私は自分にできる支援を続けていこうと思います。一日でも早く人々の心に平穏が訪れますように。